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東京地方裁判所 平成2年(人)4号 判決 1990年8月03日

請求者 上山美子

被拘束者 上山茂明

拘束者 上山淳一

主文

被拘束者を釈放し、請求者に引き渡す。

本件手続費用は拘束者の負担とする。

事実及び理由

第一申立て

主文同旨

第二事案の概要

本件は、婚姻関係が破綻している夫婦間において、妻が夫に対し人身保護法に基づき夫婦間の幼児の引渡しを求めた事件である。

一  争いのない事実

請求者(美子)と拘束者(淳一)は昭和60年12月17日、婚姻の届出をした夫婦で、昭和62年5月31日、被拘束者(茂明)をもうけたが、同年12月ころ別居した。その際、美子は、茂明を連れ出し、以後実家において監護養育していた。

その後、美子は、昭和63年2月9日、淳一を相手方として○○家庭裁判所に対し、夫婦の離婚などを求める家事調停の申立てをし、同年(家イ)第×××号夫婦関係調整申立事件として係属したが、平成元年10月31日、調停不調に終わり、未だ離婚請求訴訟は提起されていない。

ところで、昭和63年12月14日の右家事調停期日において、淳一と茂明の面接交渉につき、美子、淳一間に、淳一が同月30日午後1時美子方で茂明を引取り、翌日午後3時同所に茂明を連れ戻す旨の合意が成立した。淳一は、右合意に従い茂明を引き取ったが右合意に反し所定日時に茂明を連れ戻さず、大阪市に住む実母上山美津子に委託して茂明を監護養育し始め、○○家庭裁判所平成元年2月28日付け審判前の保全処分(同年(家ロ)第××××号事件)及び同年7月10日付け審判(同年(家)第××××号事件)において、茂明の仮の引渡しないし引渡しを命じられながら、それに従わないまま現在に至っている(以下、右監護養育状態を「本件拘束」という。)。そこで、美子は人身保護法に基づき、茂明の釈放、引渡しを求めた。

淳一は未だ茂明の監護養育状況の詳細を明らかにせず、当裁判所の人身保護命令及び制裁としての延べ8日間にわたる勾留にもかかわらず、茂明を当裁判所に出頭させない。

二  争点

本件拘束の違法性、右違法の顕著性、他の救済方法の欠如の明白性が認められるかどうかである。

第三争点に対する判断

一  本件拘束の違法性、違法の顕著性

1  証拠(甲2、甲9、甲15、甲16、甲17、甲18、乙1の1ないし2、乙2、検乙1ないし7、丙1、美子、淳一各本人尋問の結果、弁論の全趣旨)によれば次の事実が認められる。

(一) ○○家庭裁判所は、平成元年7月10日付け審判(美子を申立人、淳一を相手方、茂明を事件本人とする同年(家)第××××号子の監護に関する処分(監護者指定)申立事件)において、美子と淳一が同居し又は婚姻解消するまでの間、茂明を監護する者を美子と定め、右審判は確定した。美子、淳一は現在に至るまで同居も婚姻解消もしていない。

(二) 美子は、従前産婦人科医として勤務していたが、結婚の後に仕事をやめ、主婦業に専念し、茂明を出産してから本件拘束に至るまでの約1年7か月間、実母として茂明を大過なく監護養育していた。

(三) 美子は、現在、横浜市内の実家に両親とともに居住し、当面ここにおいて茂明を監護養育する予定であるが、監護養育上支障となる事情はない。美子は、現在非常勤医師として勤務し、今後も週何日か、実家から通勤可能な範囲内で病院勤務を継続するつもりであるとしているが、実家の経済状態等からすれば、美子はいつでも育児に専念することが可能であり、実母等の援助も受けられる態勢にある。

(四) 他方、淳一は、大学病院に勤務する外科医で、東京都内に単身居住し、茂明を直接には監護養育出来ない状態にあり、月に何回か週末等を利用して大阪に出向き、また毎日のように茂明から電話をかけさせるなどして茂明と接触を保っている他は、前記のとおり実母上山美津子に茂明の監護養育を委託している。その監護養育状況は、一応落ち着いたものと推認できるものの、具体的なその状況、特に現実の監護場所は明らかではない。そして、淳一は、その勤務内容や別居後の状況に照らすと、育児に充分な時間を割くことは期待しがたい状況にある。

2  右1(一)の事実からすれば、現時点において、茂明を監護する権限は請求者のみにあり、淳一にはないことが認められる。

そして、このような場合には、美子に茂明を引き渡すことが明らかにその幸福に反するものでない限り、淳一による拘束は違法で、その違法性は顕著であると解される。

そこで、(1)(二)ないし(四)の各事実に照らして考えると、監護態勢の点においては、監護権者である美子の態勢は、監護権のない淳一のそれに劣ることはなく、美子に茂明を引き渡すことが明らかに茂明の幸福に反することになるような事情は認められない。

3  なお、茂明の幸福を考えるにあたっては、茂明が本件拘束以来1年半余にわたって淳一側で継続して監護されてきた事実、そして、引渡しによる環境の変化が茂明に与えるであろう影響も看過することはできない。しかし、茂明は満3歳の幼児であって、環境の変化により甚大な影響を受けるような年齢ではないこと、引渡しを受ける美子は茂明の実母であり、出生から本件拘束まで茂明を実際に監護養育していたことなどを考慮すれば、右のような事実は、先の結論を左右するものではない。

また、淳一は、美子に茂明を監護させることが、その幸福に反することの理由として、美子は夫婦別居の際、淳一に相談なく突然に茂明を連れ出し、夫婦の共同生活、子の福祉、幸福に満ちた生活を破壊したこと、そして、それは美子に愛人があったためである等と主張している。

しかし、美子が、別居時に茂明を連れ出したからといって、ただちに美子が監護養育者として不適当であるとはいえず、美子に愛人があったことを窺わせるに足りる証拠もない。淳一本人尋問の結果によれば、美子に茂明の監護養育を任せることはできないとする淳一の心情の根底には、茂明に対する父親としての愛情もさることながら、美子に対する根深い葛藤がより大きく存在していることが窺えるのであり、茂明の監護についてのこのような淳一の心情は、主観的なものに過ぎないといわざるをえない。

4  したがって、本件拘束は違法で、その違法性は顕著である。

二  他の救済方法の欠如の明白性

人身保護請求は、他に救済の目的を達するのに適当な方法があるときは、その方法によって相当の期間内に救済の目的が達せられないことが明白でなければ、これをすることができない(人身保護規則4条)。

そして、本件においては、美子は次のとおりの裁判を既に得ている。すなわち、○○家庭裁判所は、平成元年2月28日付け審判前の保全処分(同年(家ロ)第××××号事件)において、淳一に対し、茂明を美子に仮に引き渡すよう命じ、同年7月10日付け確定審判においても、同様の引渡しを命じている。また、淳一がこれらの引渡義務を履行しないため、同裁判所は、淳一に対し、それぞれの間接強制として、金員の支払いを命じている(同年3月27日付け同年(家ロ)第××××号事件(引渡しの履行があるまで1日8万円)、同年9月30日付け同年(家ロ)第××号事件(期間の満了の翌日から引渡しの履行があるまで1日15万円等))。更には、美子において右各決定に基づき、淳一の給与債権などに強制執行をするまでに至っている事実もある(以上、当事者間に争いがない。)。

しかし、一般に、子の引渡請求事案において、家事審判法上のあるいはその他の手段により救済を求める方法によっては、人身保護法によるほど迅速かつ効果的に被拘束者の救済の目的を達することができないことは明白である。現に本件においても、家事審判法に基づく救済手段は既に尽くされているものの、淳一はこれに対して全く動じることなく茂明の引渡しを拒絶し続けており、その実効性は得られていない。

よって、本件においては、人身保護請求以外の方法によっては、相当の期間内に救済の目的が達せられないことが明白であると認められる。

(裁判長裁判官 荒井史男 裁判官 鶴岡稔彦 森冨義明)

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